2.5 茎棟の掟5

○九代忠吉

17 刀 文久頃(一八六一~六四)
18 脇指 文久頃(一八六一~六四)

九代忠吉は悲運の名工である。明治維新後、太政官布告として「脱刀勝手」が明治四年(一八七一)に出されると、「廃刀令」を待たずに廃業、明治十三年 (一八八〇)、四十九歳でこの世を去る。家督相続から廃業までの活躍期間は僅か十二年。後で述べるが、父をしのぐ技量を持ちながら、「廃刀令」という大きな壁にその才能を封じられたのが惜しまれる。上三代に比肩する大輪の花が、時の流れの中で、無情にも開花半ばで摘み取られた。

(17・18 鍋島報效会蔵)

○吉包

19 刀 慶応頃(一八六五~六八)
20 脇指 慶応頃(一八六五~六八)

吉包は八代忠吉の門人である。刀剣界全体での知名度は今もってやや低いが、幕末の肥前にあって九代忠吉と並んで名工の一人に挙げられる。師の晩年には代作や代銘に任じているが、九代忠吉より七歳年上であり、八代歿後は九代を助けている。

この工も師の八代忠吉をしのぐほどの腕達者で、遺作がそれを証明しており、明治元年(一八六八)に江藤新平(明治新政府の初代司法卿、元佐賀藩士)からの注文で鍛えた彫身の二口は、けだし、上代の忠吉に匹敵する名作。明治十五年(一八八二)歿、五十九歳。 

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