3. 掟を外れた刀工達

これまで述べた茎仕立ての約束事は、いわゆる原則である。そして、大底の肥前刀はこの原則に当て嵌まると思っていて大過はない。とは言っても物事に例外はつきもので、肥前刀の掟にも例外がある。つまり、肥前刀本来の掟からは外れるが、外れていることを自己の個性とした者達が居たということである。前の方でも触れた通り、脇指や短刀の茎仕立てが肥前刀の掟通りでない者が数工いるが、この掟を外れた諸工達については可能な限り把握しておくことが肝要で、本筋の肥前刀鑑定学を目指すに当たっては必ず修得すべき事項である。

物を造る芸術家に属する人種は自分の型にことさらこだわりを持つもので、容易に自分の型を崩そうとはしない。それが作品に個性や特徴となって反映されて行く。

肥前刀の茎仕立ての場合、前述の通り「刀」での違反者は居ない。皆無と言い切ってしまえない部分もあるにはあるが、太刀銘に切られた長い物で角棟に仕立てられた物は先ずない。掟を外れた茎仕立ては、脇指や短刀などの短い作に見られるもので、肥前刀の大前提からそれて、刀と同じ様に茎棟に肉を付けて仕立てた作者の存在であり、多くは傍の諸工達である。

先ず二代河内守正広が挙げられるが、正広各代の中ではこの二代だけが違反者で、他の正広は肥前刀の掟を守っている。唯、二代正広の短い作は小肉棟ばかりとは限らず、数は少ないが角棟に仕立てた茎を時折見ることがある。図11の45・46がその例。46は備中大掾正永の代銘かも知れないが、二口とも決して悪い銘ではない。ちょっと厄介ではあるが、現存している二代正広の脇指などの短い物には、小肉棟を主体としながら、僅かに角棟の物もあるということになってしまう。これには何やら裏事情があるやも知れないが、後日正広を論ずる折に改めて取り上げる。ここはひと先ず、二代正広の短い物の茎棟は、刀と同様に肉が付いていることが原則である、とご記憶いただきたい。

忠国各代の中にも掟から外れた者が居る。初代、二代、四代の三工であるが、図版の12で案内の通り四代続いた忠国の中で、三代播磨守だけが肥前刀の掟を守っていたようである。

忠国の茎仕立てで特に注意を要するのは初代である。図版と解説でも述べている通り、初代忠国の脇指や短刀の茎仕立ては、播磨大掾時代は肥前刀本来の掟に沿って角の茎棟にしているが、播磨守への転任を機に、刀同様の肉を付けた茎棟に仕立てを変えている。これは肥前刀工中では異例のことであり、必ず覚えておくべき大切な部分である。茎棟の肉の付き方も小肉だけでなく、中丸もあれば丸もあり、必ずしも一定ではない。また、初代忠国の前銘は広則であるが、記録に残している広則銘の脇指に小肉棟の仕立てを一口経眼 している(図12の51)。然し、広則の脇指の遺作が稀であるため、これ一口を以て総てを論ずる訳にはいかないのが実情である。ただ言えることは、図版に示した下段の押形で解るように、初代忠国の銘は52の銘と53・54の銘に別人説が在ったほどの変遷の激しさであり、鑢目にしても、切り(広則)からセンスキに近い大筋違(52の初期播摩大掾)となり、 更に筋違(53・54・55)へと変化している。そんな初代忠国ならば、節目によって茎棟の仕立てが変わっていたとしても不思議ではない。

ところで、忠国の代別を述べた古い年代の説では、初代忠国が播磨守へ昇格していたことを伝えず、播磨大掾で終わったと教えているのが大半である。結果、初代であるはずの播磨守忠国が自動的に二代へ繰り下げられている。そして誠に残念な事は、この誤説が一部において今でもそのまま論じられていることである。誤った古説を踏襲している人達の唱えは、播磨守の作は総て二代であり、四代であるはずの後続の播磨大縁は三代となって いる。忠国の代別に関しては本書の後半「古説の検証」の中で改めて述べるが、初代忠国は寛文の末頃に播磨守へ転じており、初代、二代、三代が播磨守を受領、四代目だけが播磨大掾である。

肥前刀工群の中には、忠吉系とは別流派の伊予掾宗次が居るが、この一派は忠吉、正広などの橋本系とは多分に趣を異にしている。地刃の作風はもとより茎仕立てにおいても忠吉系との間に垣根がある。茎の姿形は室町期の東海道物の風情があり、茎棟も忠吉系と違って中丸や丸に仕立てるのが通例で、小肉棟の物は少ない。しかも、刀と脇指の区別はなく、総ての作で丸棟か中丸の棟としている。但し、例外と言えるか否かは不明ながら、初代宗次の平造り小脇指に角棟を一口経眼。幕末の七代宗次の作では、鵜の首造りの小脇指や平造りの短刀は角の茎棟に仕立てている。宗次系の作品は、忠吉系に比して現存が少ないので今のところ確たる論述に及べないが、この派は鎬造りを丸棟とし、鵜の首造りや平造りを角棟とした可能性も十分あり得るものと考えられる。ひと先ず、宗次系は鎬造りにおいて刀と脇指の区別はなく、丸棟もしくは中丸の茎棟であることを述べておく次第である。このことは、忠吉系とは環境の違うところで育った別系の一派である証の一つともなるもので、忠吉系と宗次系を同じ基準で判断することは出来ないということでもある。

この外に、初代忠吉門人広行の平造り小脇指に小肉棟を一口経眼しているが、その他の刀工の中にも、刀と同じ様に茎棟に肉を付けた脇指や短刀の作が存在するかも知れない。 今のところ、宗次系を除いた上記の諸工が掟を外れた面々であるが、肥前刀本来の掟から外れていることがこの諸工達の掟である。

以上が肥前刀の茎仕立ての掟であるが、この事は肥前刀鑑定学の重要科目として大きくその座を占めていて、「掟と特徴」の中では基本中の基本である。上身の勉強もさることながら、この掟を識らぬままでは、不用意に肥前刀を語れぬ事態もあり得る。

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  • 忠吉系肥前刀の本質を追求し、従来からの肥前刀の定説を大きく書きかえる画期的な論証を、豊富な図版とともに展開します。より分かり易く体系化した論考は、初心の愛刀家から研究者に至るまで、肥前刀研究の決定版です。
  •  A4判・上製本貼函入・560ページ