8. 真の例外

これまで述べてきた通り、肥前刀の茎仕立ての掟で観れば、前項の偽物九点を除き、図版で案内したこれまでの作品は、その総ての物が極く普通に作られた掟通りの肥前刀である。例外として扱うような物など一点もなく、二尺を越す刀銘であっても茎棟の仕立てを角にして掟通りであり、二尺以下の太刀銘は小肉の茎棟になっていて肥前刀鑑定学上は何の不思議もない。脇指、短刀の茎仕立てで肥前刀の大前提から外れる数工も、銘の位置では刀と脇指、短刀すべての作品で掟通りの区別があり、例外視するには至らない。茎棟の約束事から外れていることが、彼等と彼等の作品の個性であると理解しておかねばならない。

然し、数多い肥前刀の中には、どう考えても説明が出来ない掟破りの作品が極めて稀に存在する。図版で紹介している初代忠国刀と二代行広刀、そして二口の二代正広の計四口が肥前刀の掟を破った本当の意味での例外である。

初代忠国と二代行広の二口は図版解説でも述べている通り、太刀銘に切って茎棟が角の仕立てである。「偽物じゃないのか」の意見が出ても不思議ではないが、決して偽物ではない。茎棟以外はどの角度から観てもレッキとした本歌の肥前刀である。二口とも傍肥前共通の特色を示して出来もよく、特に華麗な乱れ刃を焼いた忠国の作は圧巻であり、鑑賞者すべてを魅了する内容の素晴らしさは、同作中の代表作の一口に列する名品である。

太刀銘で茎が角棟の肥前刀の刀は無いのが普通で、もしあれば99%以上の確率で偽物であると前記したように、これまで経眼の太刀銘、角棟の作で正真と認められた肥前刀の長物はこの二口以外にない。この事態は数千本に一本か或いは数万本に一本くらいの確率でしか存在しないものと想像される。故に、太刀銘に切られた肥前刀工銘の長物が角棟の茎になっておれば、ひと先ず疑ってみるのが常道である。

二代正広の二口は長物でありながら太刀銘ではなく刀銘に切られた異例の作である。この二口の内、81は実作を調査ずみのもので、地刃の作域や銘から判断して紛れもなく本歌である。茎棟の中ほどから下が削られているが、上部は生ぶのままで小肉の仕立てである。82は知人から恵んでもらった押形なので実見の機会を得ていない。然し、81と同じ銘振りであるところからこれも正真の二代正広で、茎棟も小肉になっているものと確信する。この二口の正広が刀銘になっている理由は判らない。通常ではあり得ないことで、推測として考えられることは、注文者からの強い要望に応えて刀銘に切った、くらいの事しか思い浮かばず、これこそ本当の例外である。

上の四口以外にも掟を外れた真の例外が存在することは十分考えられるが、例外を例外として認めるためには肥前刀の茎仕立ての掟を先ず識り、肥前刀の地刃の作域なども細かく学習せねばならない。

刀の鑑定とは、入札鑑定で当てればいいというものではない。茎を見て正真か否かの判断が出来るようになることがむしろ大事なことではなかろうか。偽銘を切ったら、普通であれば錆を必要とするのが道理で、そこで無理をした物はボロを出す確率が高く、錆状態に不自然さを露呈する。その錆を読めるか否かであるが、茎の錆を読めるようになるには相応の歳月を要するものである。掟から外れた物を見て、その作品の真偽を判定出来るようになるには、銘の勉強も不可欠であるが、茎の錆を学習することも必要なことである。

茎仕立ての掟に関する記述はここで終わるが、以上の記述で、肥前刀鑑定学では茎仕立ての掟を修めることがいかに重要であるかを説いたつもりである。肥前刀愛好家は真っ先にこの「掟と特徴」を身に付けないと、とんでもない間違いを招く恐れがあり、その上の段階へは進めないと言っても過言ではない。肥前刀にとってそれほど重要な「掟と特徴」でありながら、どこをめくっても過去の書物には出ていない。

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  • 忠吉系肥前刀の本質を追求し、従来からの肥前刀の定説を大きく書きかえる画期的な論証を、豊富な図版とともに展開します。より分かり易く体系化した論考は、初心の愛刀家から研究者に至るまで、肥前刀研究の決定版です。
  •  A4判・上製本貼函入・560ページ