7. 茎棟が教える偽物の数々

茎仕立ての掟に関して、忠吉本家の歴代中に違反者は一人も居らず、刀の茎棟には肉を付け、脇指、短刀は角に仕立てて初代忠吉以来の約束事を墨守している。そして、長物の茎棟に肉を付けるという掟は、忠吉系の刀工総てが約束を違えていないことは前の方でも述べた。つまり、長物の茎棟を角に仕立て、それを自己の個性として通した者は皆無という意味である。

従って、この項目の図版で示す六点の刀(押形は七点)のような角の茎棟であれば、限りなく黒に近い物として選別の対象となり、茎棟を見ただけで疑問の第一歩となるものである。初心の間は銘振りから真偽を分かろうとしてもかなり難しいものであるが、茎棟で判断出来るものであれば、物理的に一目しただけで結論が出ることが多い。銘がどうだこうだという前に、茎仕立ての掟を識ることの重要性がここにある。勿論、この六点の刀は偽物である。銘の文字面だけを観てもどことなく違和感を覚えるが、茎棟が肥前刀の掟を外れているところが偽物の決め手となる。

刀六点の偽物の内、中央の某機関で正真と認められて証書が交付された物もあり、ひと通り略説を述べるが、図版解説と併せて参考にしていただきたい。証書を得たことで印刷物に登場した物もある。

70はそれほど達者な偽銘ではなく、この程度の初代忠吉住人銘を切ってみたところでほとんど通用しない。それに比べると71はかなり怖い。この三代忠吉は偽銘としては上手く出来たもので、72はその同作である。72の資料は平成九年(一九九七)四月に或る通信販売の情報誌で誌上鑑定刀として使用された時の押形である。そこには三代忠吉の標本の如き解説を以て紹介されているが、裏を返せば、この偽銘にそれだけの力量があるということで、かなりの鑑識家でも騙せるだけの練度を有している。71は昭和六十一年(一九八六)十一月に筆者が拓写したものであるが、この時点では鑑定書の類は何も付いていなかった。だが、通販誌側の言によれば、その時は某機関の鑑定書が付いていたようである。また、『鍛冶平押形 図録文久・元治本』に、これと同じ偽銘師によって切られたと思えるウリ二つの同銘が出ているが、編著者故池田末松氏の注記に“偽銘”の但し書きはなく、この偽銘の練度の高さを証明している。この三代忠吉については後方の偽銘の項目で改めて取り上げ、詳述する。

図22の73では初代正広の受領前の銘を模しているが、これでは議論の対象とはならない。正真銘と比較してみれば一目瞭然で、それほど難しい偽銘ではない。74も実作を手にすればそれほど怖いものではなく、錆色が実に不自然。銘も真似ようとした意識は出ているが、まだまだである。図版解説に書いていないことを一つ加えると、茎の鎬筋は入山形の先と結ばないのが正広家の伝統的な茎仕立てであり、入山形の先端をそれて、棟方へ少し寄った所へ達するのを常としている。

五、六代の忠吉は初心者にとっては盲点とも言えるが、この二工はどちらかと言えば茎が細く、茎尻は入山形と栗尻の中間のような形状を示していることが多い。図23の75の六代忠吉偽銘は茎の幅が広すぎるし、茎尻の形も常と違っている。また、解説でも述べているが、五代と六代の近江守忠吉は国の字を略字で切るもので、忠吉歴代で「國」を使って自分の個性としたのは四代近江大掾忠吉だけである。三代忠吉の最初期に一部「國」を用いた銘があるが、これは寸時に限られるもので、三代忠吉の個性としては矢張り略字である。76の五字銘は八代忠吉を狙って仕込まれたものであるが、せいぜい、せたつもり、程度にしか仕上がっていない。銘そのものは下手ではないが、大事なところが抜けていて気配りが足りていない。八代忠吉の茎仕立てを識らなかったものなのか、茎尻は八代忠吉の個性を全く掴めていない。そもそも、八代忠吉はこれほど不器用ではなく、茎の姿形はもっと垢抜けしている。銘字も肥前刀工中で上位に入る達者な文字で切るのが八代忠吉の銘である。

ここで認識を新たにしておきたいことは、世間で流通している物の中には八代忠吉の偽
物が意外に多く、中には思いの外の出来栄えを示した練度の高い偽物が含まれており、特に注意を要するということである。それ等の偽物は、これまでのところ鑑定家の眼まで欺き、専門機関から鑑定書等の証書を受けて市民権を得、過去の主立った書物にあぐらをかいた形で収まっている。八代忠吉偽物についても後方で詳述する。

最後に短刀を二口掲示しているが、すでに述べた通り、脇指、短刀の茎棟は角の仕立てとするのが肥前刀の掟である。脇指以下の短い物では掟に反する者が数工いることを確認してはいるが、それは傍系の諸工に限られるもので、忠吉家の歴代の中に違反者は一人もいない。

図23の77に示している「近江大掾藤原忠広」と銘した短刀は、古い書物に案内されているものであるが、言うまでもなく偽銘である。歴代忠吉(忠広)で掟に叛いた者がいないので、書中で区下に書き込まれた“小肉棟”の三文字は、皮肉にもこの忠広短刀が偽銘であることを証明してしまったことになり、銘の真偽を問う手間が省ける。小肉棟の書き込みがなくても偽銘としては幼稚な部類で、「悪い」と判断するのに時間を要するものではない。

この短刀の収録書『新刀名作集』が出版されたのは昭和三年(一九二八)であるが、それから六十年後の昭和六十三年(一九八八)に改訂版が出されている。然し、その改訂版発行の折に、この忠広短刀は取捨選択の対象にならなかったと見え、旧版通り、改訂版の中に案内されている。昭和初期の旧版にこの偽銘二代忠広短刀が収録されていたことは、それほど驚くものではない。当時の刀剣界全体の肥前刀鑑識から推測すればあり得る誤認である。だが、昭和の最末期まで来て、この偽銘がふるいに掛からなかったのは納得し兼ねる。仮りに、銘で選別出来なかったとしても、茎仕立ての掟を識っていれば、改訂版の際の“小肉棟”の三文字に目が行かねばならない。『刀剣美術』誌上の論文の中で、ほんの少しではあったが、筆者が初めて肥前刀の茎仕立ての掟を披瀝したのは昭和五十七年(一九八二)一月(第三○○号)で、改訂版が出される六年前である。その後、改訂版直前の昭和六十一年(一九八六)一月(第三四八号)と同年十一月(第三五八号)にも少量の文章ながら同じ事を述べている。然し、『新刀名作集』改訂版の関係者は、肥前刀の茎棟の掟を述べた筆者の論文にお気付きではなかったのであろう。そう判断するしかない。

78の遠江守兼広短刀は論外の銘振りで、偽銘としては幼稚。茎棟が丸であるのもいけないし、茎尻の形も違う。兼広は栗尻である。

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  • 忠吉系肥前刀の本質を追求し、従来からの肥前刀の定説を大きく書きかえる画期的な論証を、豊富な図版とともに展開します。より分かり易く体系化した論考は、初心の愛刀家から研究者に至るまで、肥前刀研究の決定版です。
  •  A4判・上製本貼函入・560ページ