5. 寸詰まり太刀銘

二尺を少し出た刀銘の大脇指があれば、やはり二尺を少し出た太刀銘の刀もある。

これまで述べて来た通り、刀としての注文で作られたものであれば、寸法が短くても刀の約束事が守られている。つまり、銘の位置と茎棟の二つの掟を順守して、銘を太刀銘に切り、茎棟には肉をつけて仕立てるということである。

何故、同じような寸法でありながら刀銘と太刀銘があるのかという疑問さえ湧けば、そこには自ずと解決の糸口も見えて来る。刀と脇指で茎棟の仕立てが違っていた忠吉系の肥前刀は、そこに気付いてしまえば他国よその物より遥かに分かり易い一派とも言えるし、より説得力を備えた鑑定学を確立することが可能である。

忠吉系の諸工達がかたくなに守り続けた一門の約束事は、記録にこそ遺されていないものの、彼等は製作時に肥前刀の「掟と特徴」を鮮明に表示していた訳である。後世、その作品を観察して「掟と特徴」なる学説を著わした鑑定家や研究家と称する人々が、残念ながらそこに気付くのが遅れたという図式である。過去の刀剣著述家諸氏は、なにがしかの反省が求められるような気もする。

学問はおよそ統計学である、という意味のことを申された方が居られた。ご意見自体は筆者も同感であるが、その統計学が実践される例が少ない。肥前刀鑑定学においても、その統計学がどこかに置き去りにされている感を強くする。

図19で案内の四口は、前項の大脇指とほぼ同じ寸法であるが、刀としての掟通り太刀銘 に切って茎棟は小肉である。キッチリと肥前刀の約束事が守られている。

前掲の二尺を越す脇指と同様の長さであるが、下の四口は刀として製作されたものである。太刀銘に切って茎裸に肉が付いているのがその証明で、表裏一体の形で行動する肥前刀の二つの掟がキッチリと守られている。

64 刀 初代忠吉 慶長十八年頃(一六一三) 刃長二尺六分(62.4cm) 太刀銘 茎棟小肉
65 刀 初代正広 慶安頃(一六四八~五二) 刃長二尺八分(63.05cm) 太刀銘 茎棟小肉
66 刀 八代忠吉 弘化頃(一八四四~四八) 刃長二尺一寸(63.6cm) 太刀銘 茎棟小肉
67 刀 九代忠吉 元治・慶応頃(一八六四~六八) 刃長二尺七分(62.7cm) 太刀銘 茎棟小肉
(6 佐賀県立博物館蔵)

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