2.7 茎棟の掟7

○初代忠清

25 刀 寛永後期頃(一六三三~四四)
26 脇指 慶安頃(一六四八~五二)

初代忠清は初代忠吉の門人というだけで、細かい情報がない。師・初代忠吉より「忠」の一字をもらっていることを思えば、門人の中では上位に居た一人であったろうと思われる。初代忠吉の作品は元和の末頃から代作や代銘が見受けられるようになり、忠清はその代作者の一人と目される。現存しているこの工の作品はいずれも質が高い。独立したあとは四代まで続く。
(25・26 佐賀県立博物館蔵)

○二代吉広

27 刀 寛文頃(一六六五~七三)
28 脇指 寛文頃(一六六五~七三)

掲示の吉広は二代であるが、初代の吉広も初代忠吉の門人である。自己の現存作品が少ないことから、忠清と同じく師の協力者の一人であったと思われる。吉広は三代まで続いているが、二代と三代は下の押形のような特殊な銘の切り方をする。

因みに、多分はこの二代吉広ではないかと思える銘振りで、「肥前国忠吉」と五字に切った初代忠吉風のものをよく見かける(これについては後述する)。
(27・28 佐賀県立博物館蔵)

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