2.1 茎棟の掟1

本文で述べた通り、茎仕立ての約束事は肥前刀鑑定学の基本中の基本。先ず最初にこの「掟と特徴」を修得しておかないと、肥前刀を鑑るに際して的確な判断を誤ることもある。
以下の図版で分かる通り、刀の茎棟には必ず肉が付き、脇指、短刀は角となるのが原則である。忠吉家では最後の九代に至るまでこの掟に違反した者は居ない。忠吉、忠広の初、二代については縮小図版を用意して参考に供する。
押形の区下に付けた曲線と直線が茎棟の状態を表わしたものである。曲線が肉のある茎棟であり、小肉棟を原則とする。一部、中丸や丸棟の仕立てもあるが、それ等の掲示については、その旨を注記する。直線が角棟である。

初代忠吉は元亀三年(一五七二)の生まれ。
初官は左衛門尉、元和十年(一六三四(寛永元年))武蔵大掾受領、寛永九年(一六三二)八月十五日歿、六十一歳。

二代忠広は慶長十九年(一六一四)生まれ。初代忠吉四十三歳時の子である。
寛永九年(一六三二)十九歳で父の跡を継ぎ、同十八年(一六四一)先輩格の初代正広と共に近江大掾を受領。元禄六年(一六九三) 八十歳にて歿。

○初代忠吉(図1)

刀 慶長十七、八年頃(一六一二、一三)
脇指 慶長十七年前期頃(一六一二) 

○二代忠広(図1) 

刀 延宝、天和頃(一六七三~八四)
脇指 寛文後期頃(一六六六~七二) 

(図1の2 鍋島報效会蔵) 
(図1の3 佐賀県立博物館蔵)

○初代忠吉、忠広(図2)

刀 慶長十年頃(一六〇五)
刀 慶長十八年頃(一六一三)
刀 元和八、九年頃(一六二二、二三)
刀 寛永二年後期頃(一六二五)
刀 寛永八、九年頃(一六三一、三二)
短刀 慶長十七年頃(一六一二)
脇指 慶長十九年後期頃(一六一四)
脇指 元和四年頃(一六一八)
脇指 寛永二年後期頃(一六二五)
脇指 寛永四、五年頃(一六二七、二八)

○二代忠広(図3)

刀 寛永十一年頃(一六三四)
刀 寛永十五年頃(一六三八)
刀 慶安頃(一六四八~五二)
刀 寛文初め頃(一六六一~六三)
刀 天和頃(一六八一~八四)
脇指 寛永十五年頃(一六三八)
脇指 慶安初め頃(一六四八、四九) 
脇指 万治頃(一六五八~六一)
脇指 寛文初め頃(一六六一~六三)
脇指 延宝頃(一六七三~八一) 

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