1. 掟と特徴

「肥前刀は難しい」―これは愛好家の間でよく交わされる言葉である。だが、難しいのは肥前刀だけでなく、どこの刀も難しいはずで、むしろ肥前刀は他国よそに比べて数が多いという点では研究がやり易く、鑑定学を修めるには条件が整っている方だとも言える。

刀剣鑑定学の学習に際して必ず付いて廻るのが「掟と特徴」である。刀剣書を読んで「ああ、そういうことか」と何の抵抗もなく納得して受け入れているのが一般の愛好家だと思えるが、この「掟と特徴」と称する古説を改めて問い直してみるのも大切なことではあるまいか。

昔から存在している「掟と特徴」と言われる刀剣鑑定学は、鑑定家・研究家と言われた人達が既存の刀を観て学び、得た知識を集大成として個人的に述べたもの、これが原則である。別の角度から表現を換えると「刀が先で、鑑定学を説いた書物の類は刀の後から生まれたもの」である。「掟と特徴」が先に在って、それに沿って刀匠達が刀を作った訳ではない、ということを明確に図式として頭の中に描いておくことだと思う。つまり、偽物は別として、手にした刀の作域が書物の「掟と特徴」欄の記述に該当しない時、刀を疑ってしまうという悪癖を修正し、記述がなければ自分の中で「掟と特徴」を増補して行く姿勢が必要であると言える。古い時代から伝わっている「掟と特徴」は愛好家が思っているほど完璧なものではなく、意外に稚拙な部分もあれば誤説もある。極めて大切な事が修得されず、欠落したまま鑑定学として記述されている例は少なくない。中には、江戸時代から伝わる間違った古説が今もって修正されることなく、そこに気付かぬまま自説の中へ取り入れて公開された「掟と特徴」が存在していることも識っておくべきである。 

明治維新は文明開化と近代日本の夜明けを告げ、同時に武家社会の崩壊をもたらした。明治四年(一八七一)に太政官布告として「脱刀勝手」が出され、同九年(一八七六)の「廃刀令」と続いて武士達の道具であった刀は無用の代物となる。この時期、外国人によって買い取られて海外へ出て行った刀剣類は相当の数にのぼると想われる。日本刀の歴史の中で最初の受難期であるが、武器から美術品へ価値観が移行したことで日本刀は救われ、我が国の文化財として脚光を浴びるに至り、刀剣鑑定学も少しずつ隆盛を迎え始めるのである。だが、江戸期・幕末を経て明治、大正、昭和と続く歳月ときの流れの中で、多くの鑑定家や研究家諸氏が述べておられる肥前刀に関する学説には不備な点が目立つ。

古刀第一主義であった幕末から明治頃においては、新刀の鑑識は大いに立ち遅れていて、レベルは低い。その頃の新刀研究者によって記述された説が今日に延命しているものも少なくないが、その古説の信頼性を総点検するのも後学の徒の役目と考える。そのためには必然的に相応の労苦を背負うことになるが、後学の当然の宿命と自覚して邁進すべきであり、やらねばいつまで経っても学問が進歩せず、百年前の鑑識をどこまでも引きずって行くことになる。

古い時代のことは識らないが、古説を過大評価してそのまま借論し、無策裡に繰り返して重宝する態に今昔の別はなさそうで、一部とは言え、昨今の剣界にも間違いなくこの傾向は息衝いている。だが、この姿勢には賛じ難く、後学としては怠慢の部類と言わざるを得ない。そこには、別の角度から古説の信憑性を問うてみた形跡が見えず、ただ気楽に引用して憚らない借論主義の書物造りを垣間見ることになる。文字からであれ言葉からであれ、先人の説から学んだものをすべて真実として受け入れている証ということであろうか。よく考えてみれば、殆ど役に立っていないはずの古説が、いつまで経っても模範解答よろしく自動的に引用されて来た実態こそが、学問の進歩を妨げている要因の一つである。古説を含めて、今日の刀剣鑑定学はすでに完成されている、と認識されている指導的立場の人も居られるようであるが、心得違いと言わざるを得ず、それがたとえ一部の刀剣人のことであると雖も、限りなく危惧して憂うところである。 

前記のように、刀剣鑑定学を学ぶには先ず「掟と特徴」を識ることであるが、ここで言うところの肥前刀の「掟と特徴」とは、既存の古説を指すのではなく、古説の中では学ぶことが出来なかった肥前刀の重要な約束事や新しく発見された事実、更には、古説の誤りを訂正した真実と思量される学説などを意味する。肥前刀の学習は、肥前刀の真の「掟と特徴」を身に付けることが先決で、これを修得出来ない内は肥前刀の本質を学べない事態も起こり得る。肥前刀本来の「掟と特徴」を尺度として、先人諸氏の唱えた古説をじっくり検証してみれば、そこには修正や取捨選択の余地が意外に多く残されている事実に直面する。

以下、本書で述べる肥前刀の「掟と特徴」は、古説や先輩諸氏から得たものを土台としながら、筆者自身の実作調査と記録を元に十分な分析を進め、客観的な視点でまとめた筆者個人の肥前刀鑑定学である。先人諸氏が唱えておられる肥前刀の「掟と特徴」が、学問的に必ずしも全幅の信頼を寄せることが出来ないという観点に立ち、筆者の確信する本来の肥前刀鑑定学に照らしながら先人諸氏の古説を検証し、改めるべきは改め、可能な限り真実に近い「掟と特徴」を読者・愛好家の前に提供したいと考える次第である。 

剣界の先輩諸氏に敬意を表するという姿勢は奥床しくもあり、玉虫色の表現で気遣いを示し、意識して誤説の批評を避けて通るのが日本人の慣習としては美徳なのかも知れない。 が、この悪習も刀剣鑑定学の進歩を阻害しているものである故、筆者は周りの顔色を伺う愚行を努めて避け、誤説に対してはズバリと批評する。

これから本論に入るが、本書は刀剣書としての従来の形式には全く捉われるものではなく、書名を「肥前刀備忘録」と命じた如く、肥前刀で忘れてはならない事を順不同で述べて行くことにする。忘れてはならない事とは、古説の中で見聞することの出来なかった肥前刀の究極の「掟と特徴」であり、それを識らなかったが故に永年に亘って続いて来た肥前刀鑑定学の誤説、並びに誤認鑑定の把握である。本書を手にされた読書諸賢は、ご自身の中で過去の肥前刀鑑定学を正しい方向へ軌道修正して下さることを願うものである。

肥前刀について述べられている古説に不備や欠落が多いことは、過去、永年に亘って日本美術刀剣保存協会(以下、日刀保)の機関誌『刀剣美術』で筆者は論じているが、その目的としたところは、先人の教えや書物の記述からは学ぶことが出来ない大切な事柄が、肥前刀には数多く存在していることを広く伝播しようとするものであった。本書はその拡大版であり、肥前刀を愛する人達の学習に役立つものと確信する。

  •  肥前刀備忘録のご紹介
  • 忠吉系肥前刀の本質を追求し、従来からの肥前刀の定説を大きく書きかえる画期的な論証を、豊富な図版とともに展開します。より分かり易く体系化した論考は、初心の愛刀家から研究者に至るまで、肥前刀研究の決定版です。
  •  A4判・上製本貼函入・560ページ