茎棟の仕立てを長い物と短い物で区別していたのは肥前刀独特のもので、他国、他派では例がないはずである。 しかし、この「掟と特徴」が刀剣界で殆ど識られていなかったために、過去の肥前刀鑑定学において、適切でない表現が幾例もある。
その内の一つ、図中の寛永十八年紀(一六四一)を添えた二代忠広は、故本間薫山博士が鞘書きをされ、平成三年(一九九一)七月の『刀剣美術』(第四一四号) の鑑刀日々抄欄に採用されたが、類別は「刀」として案内されている。ではあるが、これまでの説明通り、刀銘の肥前刀で茎棟が角になっていれば、脇指と鑑ねばならない。その場合、二尺(60.6cm)を越した寸法であってもその長さは無視することである。それが真の肥前刀鑑定学である。
56 脇指 初代忠吉 慶長十四年頃(一六〇九) 刃長二尺六分(62.4cm) 刀銘 茎棟角
57 脇指 二代忠広 寛永十八年紀(一六四一) 刃長二尺一寸(63.6cm) 刀銘 茎棟角
58 脇指 二代忠広 承応頃(一六五二~五五) 刃長二尺六分(62.4cm) 刀銘 茎棟角
(56 佐賀県鹿島市 祐徳稲荷神社蔵)
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- 忠吉系肥前刀の本質を追求し、従来からの肥前刀の定説を大きく書きかえる画期的な論証を、豊富な図版とともに展開します。より分かり易く体系化した論考は、初心の愛刀家から研究者に至るまで、肥前刀研究の決定版です。
- A4判・上製本貼函入・560ページ