2.4 茎棟の掟4

○七代忠広 13 刀 文化後期頃(一八一〇~一六)14 脇指 享和頃(一八〇一~〇四)  七代目の忠広について細かく案内したものが少ない。作品の紹介も皆無で、従来の書物では生来の病弱説を伝えているもの…

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 2.5 茎棟の掟5

○九代忠吉 17 刀 文久頃(一八六一~六四)18 脇指 文久頃(一八六一~六四) 九代忠吉は悲運の名工である。明治維新後、太政官布告として「脱刀勝手」が明治四年(一八七一)に出されると、「廃刀令」を…

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 2.6 茎棟の掟6

茎棟の掟は、忠吉各代だけのものではなく、その一門に属する傍系の諸工達も極く僅かな例外を除き、悉く約束事に従っている。同じ肥前でも、忠吉系と門流を異にする宗次系、並びに市太を名乗る一派などは、忠吉系の掟…

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 2.7 茎棟の掟7

○初代忠清 25 刀 寛永後期頃(一六三三~四四)26 脇指 慶安頃(一六四八~五二) 初代忠清は初代忠吉の門人というだけで、細かい情報がない。師・初代忠吉より「忠」の一字をもらっていることを思えば、…

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 2.8 茎棟の掟8

肥前刀の茎棟について、これまでに述べられていた古説を要約すると、「肉が付いた物もあれば、角の物もある」ということになってしまう。確かにその通りではあるが、この内容を素直に解釈すると、「肉が付いていよう…

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